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zoom RSS クラシック音楽の「アーティスト」って…

<<   作成日時 : 2005/09/07 00:45   >>

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林容子さんの「進化するアートマネージメント」(レイライン)を読んでいます。たぶんほとんど同じくらいの頃、near Tokyoと言われた三鷹のキャンパスをうろうろしていた方と思われます。

アートマネージメントは、もちろん音楽の現場でも今は普通名詞になっていますが、ファイン・アーツ(ヴィジュアル・アーツというのかしら)におけるプロフェッショナル・アーティストの定義に比肩する「クラシック音楽におけるプロフェッショナル・パフォーミング・アーティスト」の定義を明確に語れるだろうか…と考え込んでしまいます。

プロフェッショナルのヴィジュアル・アーティストたちが、はっきりと自らを創造者、創作者と言えるのに比べて、クラシック音楽のパフォーミング・アーティストは、作曲者という創作者との協働作業が常に求められる、自らがクリエーター自身であることが比較的少ないアーティストです。

より複雑に大規模に、技術的にも飛躍的に高いものを要求する作曲が行われるようになるに従って、この音楽の世界では、実作者と実演家が高度に分業していきました。

それが20世紀の技術革新で、パソコン一台でかなり複雑な音楽を作れるようになったり、録音メディアの発達が、音楽演奏の現場に必ずしも実演者を必要としなくなっていったり、まあ、なんというか、演奏家というアーティストにはかなり「分の悪い」状況になっていったのも確か。

他方、マスメディアの潮流に乗って、生で聴いたことのない海外の有名オーケストラやソリスト、団体の音楽だけを聴いている、ノン・ライブな聴衆も間違いなく存在するようになって、生で演奏する演奏家の位置づけを、さっぱりと定義するのがどんどん難しくなってきているようで…。

この話つっこんでいくと、かなり本質的な話になるなあ…と思いつつ、読み進めているところです。

ただ、音楽の現場からは、こういうタイプの書き手は出にくいのだろうなあ、と我と我が身を振り返りつつ思う次第。なんせ、クラシック音楽というパフォーミング・アーツの現場では、スタッフは基本的にアーティストである(はずの)演奏家を徹底的にサポートするのが仕事。アーティストと社会を結びつけるのがアーツマネージャーであるという発想を現場出身者が持つためには、かなり大きな発想の転換を必要としますから(そもそも、この世界でマネージャーといったら、アーティストの代理人のことであり、アーティストの利害代表者の立場にいる人ですからねぇ)。

でも、だれかが社会に向かって、クラシック音楽のアーティストをしっかり定義しないといけないでしょう。

そうしないと、いつまでたっても、音楽芸術のパトロンたちは、分かり易い「若手支援」「演奏家養成」ばかりに関心を持つか、功成り名遂げてブランド力抜群のものを「安全パイ」として支援するだけ、という状況が続いていくだけかも。

パフォーミング・アーティストとしての演奏家が社会的存在位置を確保できる(喰っていける)ためのインフラ作りという地味な活動にお金が集まりにくいのは、いったいどんな人たちのために、何のために支援が必要か、という見識を持つための定義が曖昧なままなのではと思っている今日この頃でありました。

うーん、疲労困憊の頭には難しい話になってきた…いずれ、少しずつ整理しながら、自分なりの定義をだしていきましょう。

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