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zoom RSS それは今から20年前のこと…

<<   作成日時 : 2005/10/23 01:24   >>

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家には物書きの亭主がいる。
本人は売文業と言っているが、無から有を創り出す仕事に変わりはない。
その意味ではひとりのアーティストと日々暮らしていると思ってよい。
気むずかしいの、偏屈だのと本人は言っているが、私が仕事でつきあっているエライ肩書き付きのセンセーたちに比べれば、よほど愛嬌がある。

今日も某墨田区のオケの事務所で、みたらし団子をごちそーになってきたようだ。
どなたかがてんこもりに差し入れてくれたようで
「ヤワラさん、二本はたべてって!ノルマですよ!」
醤油味たらりんの団子には目のないご亭主は、ほいほいと平らげてきた模様。ごちそうさまでした。
本人は、どこへ行ってもスタッフ扱い…と言っているが、それだけ愛されていると思っていいだろう。

今日も悩める若い広報担当者が、ほとんど泣き言と愚痴のはけ口を求めての電話をかけてくる。
夕飯の豚肉を焼きながら、携帯電話で答えている姿を、レタスをちぎりつつ横目で見る。
厳しい言葉をがんがん投げているけれど、真正面から答えている。
おいおい、肉が焦げちゃうよお。そんな電話は彼氏にしてよぉ。
大学院生のころ、アルバイトで教えていた塾では、英語を初めて習う1年生と、落ちこぼれクラスの担当だった。面倒見のよさは、その頃から変わらない。

これほど筆の速い人もいない。
これまでの最速記録は、原稿依頼午前3時(これもすごい話だけど)、入稿午後0時。その原稿は午後3時には印刷にかかっていたらしい。

そんな亭主が月に一度苦吟している原稿がある。
月刊都響の「エヌの閑話」(1979年から1983年まで某三鷹市の某私立大学に通っていた人には、このタイトルの由来がすぐにわかるでしょー)。

面白いもの書いてよー、という、大学時代の同級生の楽団主幹からのリクエストに、「面白さとはなんぞや!」と叫びつつ、のたうっている。

特に今書いているものには、苦労している。お題は都響創立20周年合唱団。実は私が団員だった。「だった」というのも、カザルスホールに入って、全く練習に出られなくなってfade outしてしまったし、合唱団そのものも今は、無い。

原稿にするにあたり、元・合唱団員として、亭主にインタビューされた。とつおいつ思い出す20代のどまんなか。

その頃、私は某外資系大手コンピューター会社の研究所でアルバイトをしていた。
大学をでてもぷーたろーをしていたのを見かねた女子寮時代の同室がひっぱってくれた。
全般的にぷーたろー系人生を送っている中で、わずかに2年、一流企業のOLが如き生活をしていた頃。出社も退社もきっちりと決まっていたおかげで、大学生の頃のように都響メイトと新日フィルの定期会員を続けていた。そんなある日、都響創立20周年合唱団の募集を目にする。歌うのはマーラーの第8番。おおお。定期会員仲間の何人かといっしょに目を輝かせて入団した。

習い事も部活も続けるのが、どうしようもないほど苦手だったのに、この合唱団の練習だけは欠かさず通った。歌いながら、この作品の複雑なテクスチャーが、テキストの組み方と表裏一体になっている事実に気づき興奮。たぶん、そんな風に音楽を見るようになったきっかけを掴んだこともあってのことだろう。

そして、いよいよコシュラー氏が登場。合唱指揮をしているという双子の兄弟といっしょに現れた初練習では、自分を指さし「しよーぜーん!」髪ふさふさの兄弟を指さし「しよーご!」とやって、団員の心を一発で掴んでしまった。彼が亡くなったとき、あのときのお茶目な笑顔が浮かんで涙が止まらなかった。

団にいたのは、1985年から87年までの、これまたわずか2年。ラヴェルの「こどもと魔法」が最後の舞台だった。未だにふとその一節を口ずさむこともある。

インタビュアとしては手練れの亭主にあれこれ聴かれるうちに思い出したあの2年間は、実は今こうして仕事をしている原点のひとつになっていることに気づく。

アマチュア、それも本当にこの合唱団に加わるためだけのアマチュアとして、プロフェッショナルと係わる時に感じた違和感。合唱団が盛り上がるほど醒めていくような空気がオケから流れてくる不思議。ダンテシンフォニーを歌うわずか24人の中での緊張と、ソロをとる目の前のホルンの人の動揺。

合唱団にいる頃には、よもやこの仕事のプロになるとは思っていなかったけれど、あの時経験したあれこれが、今の価値観を形作る要素になっている。

その頃、亭主はこの合唱団の専属ボランティア曲目解説をやっていてくれた。今取り組んでいる作品がどんな性格なのか、どんな背景なのか。グラゴールミサのときには、かなり詳細な資料を作った覚えがある。我が家に今も残る古代教会スラブ語の教科書は、ニコライ堂の書店で買った、そのときの参考書だ。

原稿のための取材インタビューは、いつしか20年前を振り返る家庭の会話になっていた。

一体これから自分たちはどんな風に生きていくことになるのだろう…先は全く見えなかった(今も見えないけど)。自分たちが何者であるかもわからなかった(今もわからないけど)。その中で、クラシック音楽だけは、そこに、確かにあった。そして、今もそこにある。流転の人生の、大事な不変の要素。

合唱団のメンバーは、わたしたちの結婚式でも歌ってくれた。
そして、メンバーのひとりは、いま、トリトン・アーツ・ネットワークのサポーターの中核メンバーになっている。TANが出来たとき、何年ものご無沙汰を経て、彼はやってきてくれた。

うちにはひとり物書きの亭主がいる。物書きとは、移ろい行く時を言葉に書きとどめる仕事。
ほんの数年しかこの世になかったあの合唱団を書きとどめるため、まだ苦吟中のようだ。

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内 容 ニックネーム/日時
書き終えて、今、都響に送った。あとは知らんぞぉ。とてもこのまま通るとは思えない。これからが戦い本番です。とにもかくにも、次の作文、いきまーーーす。
やくぺん先生
2005/10/23 01:36

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