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<<   作成日時 : 2005/12/12 00:50   >>

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勢いがなくて、書けないのだけれど、忘れたくないことなので、メモだけ。

永井隆さんの本。「ロザリオの鎖」で。
彼が繰り返し言う、「文化」「文化人」「文化的生活」について。

例えば、
子供が缶詰の桃を直接缶から食べずに、お皿に盛って、いただくこと。
原子野に散らばる骨を拾ってきて、火葬ごっこをしている現実を直視すること。
貧しいことが、生活のあるべき姿の矜恃を損なうこと。
彼の中の譲れない一線の根拠。
それを文化と呼ぶ、その「文化」の姿。
「文化人」の原義。少なくとも大学に職をいただく人間は「文化人」であり、「文化人」の生活、というものの共通理解が存在したこと。

ほんとにメモで失礼しました。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
詩人W.H.オーデンのエッセイ「詩人と都市」の一節です。日本語文化圏最後の文豪故田村隆一氏の翻訳だと思います。

「彼らふたり(注:百姓と詩人)が賛成しているひとつの政治的原則がある。すなわち、名誉を重んじる人間が、必要とあらば、そのために死ぬ心構えをしていなければならない半ダースあまりのもののうちで、遊ぶ権利、とるに足りないことする権利は、決して小さなことではないということである。」

この「遊ぶこと、とるに足りないこと」をもう少し抽象的に表現した言い方が、「文化」です。
やくぺん先生
2005/12/12 12:58
「彼の中の譲れない一線の根拠」
共感します。
これを「趣味」といえば,確かに「趣味」なのですが,その「一線」を決めるのは,一人ひとりに,どうしようもなくまつわりつく風習・環境・見えざるカリキュラム……。それを乗り越え,意識的に、そして意志的に「一般化」するという営みであろうと思います(この作業も一人じゃ怖いんですけどね。対話はとても重要)。

文章が固くなってすみませんが,TANの昨年のクリスマスコンサートのチャイコフスキー「弦楽セレナーデ」は素晴らしく,明けて2005年の今年はCDでこの曲ばかり聴いていました。
さて,今年はシェーンベルグですか。まだチケットを買っていませんが,また駆けつける予定です。
月島四丁目編集者
2005/12/17 08:43

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