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zoom RSS 記憶と現実と…

<<   作成日時 : 2007/04/09 23:33   >>

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 昭和の中期、つまり自分が生まれて育った時代が、歴史的過去として語られる…当たり前といえば、当たり前なんですけどね。
 
 SQWの2008年シーズンのことを考えなければ…と思いつつ、あれやこれやと悩ましいことも多いもので、今日はぜんぜん仕事が捗りませんでした。自分の仕事のことだけ考えていればいいという立場でもなくなって来ているけれど、本来なら私よりもずっと若い世代をひっぱっていく動力になるべき世代がすっぽりいない、というか、自分の足で立てていないという事態に直面して、いささか気が滅入る…今日は朝からそういう人たちのしでかしたことの後始末話ばっかりで日が暮れてしまいました。

 こういうときには、フィクションが一番!ちょうど「怪奇大作戦セカンドファイル」放送日だったので、仕事はさっさと諦めてみることにしました。

 作品を語り出す語法は、幼い頃(小学校低学年です)に馴染んだもの。神山監督あたりの若い世代の語法の斬新さを読み解く刺激とは違う、Cosa Nostraって気分で見られる番組があるのは、こういうときはありがたいものです。役者もしっかりしている(若いのも含めて)ので、大根芝居で虚構に破れ目を作られる心配もないし。

 喪われていった風景を、死者に会いたい老人の特殊な脳波が現実のものにしてしまう…そんな話の舞台になるのは、もう敗戦より前の帝都東京ではなく、路面電車が廃止になる夜を描く1960年代のトウキョウ。
 路面電車が通る道を、「電車道」と呼んだころ。

 地下鉄を通すことが決まって、我が家の前を走る市電(横浜でしたから)が最後の運行で目の前を通り過ぎていったのは、最初の「怪奇大作戦」をやっていた頃だったかな。あれはたぶん、1969年小学校3年生の夏休みの終わりの日。花電車でしたから、それなりに色もついていたのだろうけれど、記憶の中では見事にグレースケールです。街灯も少なく、光と影だけが映像を形作っていたからかしら。

 そういう記憶の一片が、時代の象徴になるのも不思議なもの。これが年をとるってことなのかもしれないけれど。

 今はろくでもない時代だけど、帰れるものなら帰りたい…老人の記憶の風景に封じ込められてしまった若者の台詞。
 トウキョウの空を不用意に高い高層タワービルが覆い尽くしていった時代も、50年近く経てば、セピア色で語られることもあるかもしれない。

 そのセピア色の時を目を細めて懐かしめるように、今を、この瞬間を全き充実をもって通り過ぎようや、お若いの。

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